By | 2015年8月26日

亡くなった高校時代の友人を偲ぶ上映会   西田宣善

7月20日、京都祇園近くのカフェ。ここは私が高校時代の友人で、一緒に映画を作っていた松山和弘君(通称:ババさん)が常連として通っていた店だ。彼は、私が知らない間、2008年に病死した。高校時代のクラスメートが松山君のことをこのカフェのホームページに書かれているのを見て、教えてくれた。店主に連絡を取り、私が松山君の高校時代に監督・出演した映画を持っていることをお知らせすると、ぜひみんなで見たいとおっしゃった。それで、実現したのがこの上映会だ。以下は、即席に作ったプログラム。配布するつもりが、プリンタの調子が悪く、配れなかった。自主映画の上映会にはよくあること。
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松山和弘監督作品の(ほぼ)すべて上映会 
                    京都・オパール 2015/8/20
OMURO PRESENTS
©著作権は当時の嵯峨野高校生徒たちにあります

『サテライト・オペレーション』1980年 嵯峨野高校2年2組作品
脚本・監督・編集・出演 松山和弘 製作総指揮・撮影・編集 西田宣善 
15分 出演 2年2組生徒たち

松山が初めて監督したSF作品。タイトルは小松左京の短編からきている。松山は全カットの絵コンテを描いて撮影に望んだ。撮影の西田は、シーンによっては絵コンテの変更を主張。松山が本当に撮りたい映画とは違ったものになったのかもしれない。編集は松山、西田が約半分ずつ担当している。

『ホムルンクス』1981年 嵯峨野高校文芸部作品
監督・一部脚色・編集 木上雅雄、西田宣善、松山和弘 原案・脚本 奥村泰彦 撮影・照明 木上雅雄 主演 西田宣善、松山和弘(劇団こうま)

西田、木上が映研設立をめざしていたが、挫折。代わりに文芸部に入部して映画を作ることになる。西田は松山を誘い、一緒に映画を作ることになった。しかし、ここで立ちはだかったのが企画会議。会議での投票でどのシナリオを映画化するかを決めることになった。西田が最初に書いたシナリオが「人造人間S−7号」という人造人間もので、それに触発して松山が書いたのが「悪魔を憐れむ歌」というやはり人造人間もの。しかし、企画会議で通ったのがあろうことか、やはり人造人間ものの「ホムルンクス」(本当はホムンクルスが正しい)。監督の3人はこのシナリオがいやでいやで、松山は特に後半部分を全面的に書き直した。西田は途中に挿入される幻想シーンなどを演出。演出は3人でシーンを割り振って演出した。
主演も西田と松山で、松山の怪演をぞんぶんに楽しんでいただきたい。
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この2本の上映中、何度も笑いが起き、終わると大きな拍手。この2本は文化祭用の映画で、当時はこんなに受けた記憶がない。35年経って、最も成功した上映会となった。

映画の感想は、予想以上にいいものだったというのが皆さん共通の意見だった。皆さんは30代以上となった松山君をよく知っていた人たち。私は高校時代、そして少し大学時代の彼を知っている。松山君の思い出話に大いに花が咲いた。彼がいかにディープな映画ファンであったか。その話に大いに驚かされたものだ。

私も彼のことを思い出す。高校卒業後の進路について、彼は迷っていた。美術の世界に進むか、映画の道を歩むか。彼は上手かった絵を生かして、京都市立芸大に進学した。私は紆余曲折の末、映画の世界に入ったのだが、松山君はデザイナーになった。そのことを知った私は、一度彼に映画のチラシ、ポスターのイラストを描いてほしいと思った。昔、映画のイラストを描くのが夢だと聞いたことがあったからだ。そこで、具体的な作品はなかったのだが、彼にうちの会社で制作した映画のチラシの見本を送ったことがある。その後、彼からの連絡を待ったが、なかったので、そのままになってしまった。

松山君と再会したのはミクシィで、彼のディープな映画評はすごくおもしろかった。それが、2008年の3月に突然途絶えた…。今もミクシィで彼の映画評は読むことができる。

*『ホムルンクス』の松山和弘。このシーンの演出は西田で、しかも、西田が演じる「私」の見た目のショットで、西田自身が撮影している。
hom_matsuyama


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